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大阪高等裁判所 昭和32年(く)39号 決定

少年 B(昭和一三・二・一一日生)

主文

本件抗告はこれを棄却する。

理由

本件抗告の理由は本決定末尾添附の抗告の趣旨記載のとおりである。

記録を調査すると、少年は、父と生別してから(この父も現在は死去)母の手で育てられていたのであるが、その監督に服せず、○○商業高等学校定時制に通学していた時分から月謝を使込んだり、又支払の見込のない洋服を月賦で買うたり、金銭の浪費が重なり、貧しくて余り収入のない母親はその借金の跡始末に困窮している。又肺結核で病院に入院しても落付いて療養せず度々病院を飛出しているのであつて、昭和三十二年八月二十五日には姉が他から借りていたラジオをほしいままに入質して横領し、無断で病院を出て秋田、京都と浮浪し、母も姉も持て余しているし、少年も自暴自棄になつているから、虞犯少年として保護されなければならないものである。少年は自己中心的性格であり、家庭及び一般社会に対する不適応の性格であると認められ、これを反省矯正する必要もあるし、又肺結核に罹つているから隔離して治療しなければならないが、さきに言及したように家庭は貧困で、従来入院していた療養所では我儘から四回も勝手に退院や逃走をしているのであるから、これを医療少年院に送致し、療養と共に修養をさすことはまことに相当である。少年は国立療養所のときのように我儘や勝手な退院ができないことに不平を抱き、不親切な処置であると非難するのであるが、それは自ら反省することの足りないことを示していると解するの外はない。原決定は相当であつて、本件抗告は理由がない。よつて少年法第三十三条第一項少年審判規則第五十条により主文のとおり決定する。

(裁判長判事 松本圭三 判事 山崎薫 判事 辻彦一)

別紙一(少年の抗告理由)

私は審判の時判事さんが家に帰るか病院に入るかどうするといつたので家には帰りません病院に入れてくださいといいましたら判事さんはでは医療少年院に入りなさいといいました、私はこれまで鑑別所も少年院も初めてなので医療少年院がどういう所かわかりませんでした、もちろん初めからわかつていたら私は家に帰るといつていたでしよう、なぜ判事さんは審判のとき病院とは医療少年院だとおしえてくれなかつたのでしようか、なんにもしらないで、審判をたのしみにしていました私は審判がおわつたら鑑別所から出て働くにいいと思つていましたが、審判のとき病気が悪いから働かれないといわれたから病院に入るといつたのです。鑑別所の先生も六ヶ月くらいだから良くなおしてから働きなさいといわれ、私も早くなおして働くつもりでした。私は判事さんが病院といつたから、国立療養所かと思つていましたがここは少年院です。要するに、私が不服なのは、ここに連れ来られた不親切な処置についてであります。委細な説明なしに病院だと偽つて(私にはそうしか受取れません)このような法的場所に拘禁されたことは誠に不本意ですから、ここに審判不服申立をいたします。

別紙二

(原審の保護処分決定)

主文および理由

主文

少年を医療少年院に送致する。

理由

(非行事実)

少年は父と生別してから母の手で育てられたのであるが、その監督に服せず○○商業高等学校定時制に通学していた時分から月謝の使込み、支払の見込のない洋服を月賦で買う等の金銭の浪費が重なり、結核で病院に入院しても落着いて療養せず、昭和三二年八月二五日には姉が他から借りていたラジオを入質して無断で病院を出て秋田、京都と浮浪していたもので、これは少年法第三条一項第三号(イ)(ロ)(ニ)に該当する。

(措置)

少年の実母や姉は度重なる非行に保護の意慾を失つて居り、少年も病気が手伝つて性格の歪が著しく、肺結核も隔離、療養が必要であるが、家庭が貧困である上、従来の経過から普通の病院では落着いて療養しないと認められるので医療少年院に送致して、治療と性格矯正を施す必要ありと認めるので、少年法第二四条第一項第三号により主文の通り決定する。(昭和三二年九月一二日 京都家庭裁判所 裁判官 菊谷俵太郎)

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